ブレイクタイム。

珈琲でも飲みながら

書くことが目的になった瞬間に文章は死ぬ。

毎日ブログの記事を書こう。

面白いことを書こう。

多くの人に見てもらえるように書こう。

 

そう思った時、文章は死ぬ。出来上がったものは酷いものだし、そもそも出来上がらない。1行書いては消して書いては消して、時間だけが過ぎていく。

 

文章とは書くものではなく、伝えるための手段に過ぎない。何かを書こうと思ってゼロから考える。いくら頭を捻っても自分の中から何かが出てくることはない。

 

文章は生み出すものではない。見つけるものだ。

文章を書こう。そんなメンタルで書こうとしては行けない。

日常の中で見つけたもの、考えたこと、記録しておきたいこと。そういうものと出会った時、人は誰かに伝えたいと思うはず。その純度が高ければ高いほど良い文章だと自分は感じる。

 

最も多くの人が引っかかる罠

書けない人が陥りやすい罠がある。それは自分のことを書こうとすること。自分の事で書く事が出来る人は相当な実績と経験がある人だ。そんな人はほんのひと握りである。自分自身がコンテンツとなった人にしか自分は書けない。そういう人も自分について書く機会は少ないと思う。自分の存在について自分で書かれたものはほとんどないはずだ。

 

書くというのは見やすいように整えること

コレよくね?共有しよ!

そう思った時にもう書く内容と言うのは全部決まってる。

興味を惹かれる→調べる→共有したくなる

その後に見やすく言葉を並べる事が必要になる。伝える手段が文章ならライター、ラジオならパーソナリティ。ライティングとは編集スキルの事である。

作家や著者の仕事は興味を惹かれて調べて伝えたい内容を作る事なのである。書けない人は内容が何も無いものを編集しようとしている。まずは作家になる必要がある。

 

ネタとテクニック

文章の面白さはネタが8割、テクニックが2割。ネタが面白ければどんだけ読みにくかろうが、日本語がおかしかろうがちゃんと面白いものになる。

寿司のネタのシャリみたいなものかも。シャリはあくまで脇役だけど大事でどのネタでも使う。でも食べる人はネタが悪ければシャリの良し悪しなど関係なしに美味しく無いと言う。ネタが良ければシャリを避けてでも食う。

文章を面白くするためはネタを探しに漁に出なければならない。取材が8割なのだ。

 

文章はコーヒー

あるいはこう考える。文章はコーヒーだと。

熱いお湯を入れて豆とフィルターを通さなければあの黒い液体は出てこない。

同じように情報や体験をインプットして自分を通すとアウトプット(文章)が出てくる。水ではうまくいかないし、お湯を入れなければコーヒーは出てこない。

 

長い文章を書くときはtweetを活用

ツイッターはとても便利。140字にまとめて行くので内容のあるパラグラフをたくさん作る事ができる。一つのテーマに沿ってツイートを連投していけばそれだけで一つの記事を書けるくらいの内容が出来上がることも多い。後はそれをブログなり、noteなりの一つのページに見やすくまとめれば立派な長い文章が出来上がる。

この記事も短いタイトルと短いパラグラフで思いついた内容を書き留めている。

 

バズる文章の影には

駄文、つまり誰にも反応してもらえなかった文章が山のように出てくる。原因はネタのクオリティか、読みにくさか、目に触れる機会がなかったか。

全く同じ記事を日時を変えただけで、ちょっと書き直しただけでたくさん読まれたり。会心のものが出来上がっても全然反応が貰えなかった時、心が折れそうになる。だから文章を出す時は同じ内容を何回も書き直して出す。

一回目、走り書き

二回目、清書

三回目、書き直し

反応が強いものは何回も書き直せば良い。薄いものはネタがつまらない、他人には響かない可能性が高いのでボツればいい。

最初から労力をかけない。一発勝負の時事ネタなどもあるが、全てを一発真剣勝負にしていてはメンタルが保たない。